|
カラギョージからの招待状
東北学院大学教授
アテネ大学研究員
オナシス財団フェロー
石田 啓
カラギョージとは現代ギリシァに伝わる影絵人形劇です。ギリシァ人にとって、幼年時代の思い出の核をなすとも言えます。時には、子供より大人の方が楽しんでいるような印象さえも感じられます(写真1)。
この夏、トロイ戦争の英雄オデュッセウスの故郷と言われるイサキ島のヨットハーバーで開かれた野外公演でも(写真2.1,
2.2)、冬の初め、観光客で賑わうアテネのプラカ裏通りの小劇場でも(写真3.1, 3.2,
3.3)、子供たちと共に心から笑いに興じる大人たちの姿が目に焼きついています。
それは、憎しみや争いとは正反対の、長閑で時には野性的な笑いを共有する心地良い場でもあります。カラギョージ公演を観るたびに、今の日本で子供たちはカラギョージに匹敵するような逞しく暖かい笑いを分かち合う場をもっているのだろうか、と思わざるを得ません。
カラギョージとは、トルコ語で「黒い目」を意味する主人公の名前です。起源はよくわかりませんが、恐らく中央アジアから極東に及ぶ地域のどこかで、遊牧民族がテントの中で上演したものと思われます。中国やインドネシアに伝わる影絵人形劇と同じルーツを持つわけです。
アレクサンダー大王によって開かれた絹の道を通って、ギリシァの神像が西から東に気の遠くなるような長い旅をして日本の仏像へと変容したのとは逆に、カラギョージは東から西に同様の長い旅をしてトルコのオットマン帝国に辿り着き、そこからギリシァに入りました。アメリカの研究者によれば、最初のギリシァ上演はトルコ占領治下の1809年頃とされています。
カラギョージ一座の主要メンバーは十二人。座長のカラギョージ、トルコ人に媚びるハジャヴァーティス、カラギョージの叔父さんヴァルヴァ・イオルゴス、息子コリティリス、妻アグレア、大言壮語のスタヴラカス、美少年オモルフォニオス、ダンディーなシニョール・ジオニシオス、ユダヤ人ソロモン、執政官ヴェリゲカス、知事パシャ、長官等から構成されています。
主人公カラギョージは、貧乏でいつも飢えています。裸足でボロボロのズボンを履き、不精髭を絶やさず、異常に長い腕で人を殴ったり自分の背中を掻いたりする彼が、出し物によっていろいろな役に変身します。例えば、医者、パン屋、書記、海賊、外交官、強盗といったように。多彩な役柄の中にはイオルゴス叔父さんの花嫁を演じるものもあり、これだけは見たくないな、という気がします。因みに、カラギョージが「叔父さん」を連発する度毎に、今は亡き柴又の寅さんを思い出します。

(写真4) |
但し、いわゆる脚本は存在しません。演者が上演の度ごとに、その時の話題を入れて諷刺をアップデートするためです。十一月の肌寒い日曜の晩に、プラカで観た若いタスウ・コンスタ氏の演目はカラギョージ一座のアテネ・オリンピック出場でした
(写真4)。
何れの筋書きにおいても、カラギョージは飢え、疎外、挫折という逆境を克服する工夫をしますが、最後には現実の壁にぶつかり敗者となります。しかし落胆とは無縁です。逆境を冗談で笑い飛ばし、時にはウィットに富んだ台詞を語り、底抜けの明るさを持つ怠惰な楽観主義者に他なりません。
カラギョージは、十九世紀になって数百年に渡るトルコ支配から独立し、西欧ブルジョワ社会の一員となった近代ギリシァ自身の戸惑いの象徴とも言えます。
|
今日でも、ギリシァ人の年間平均収入は日本に比べれば遥かに低く、街を歩けば至る所で、古ぼけたジーパンを履き、よれよれのジャンパーに不精髭の現代のカラギョージたちと出会います。
また、カラギョージ以外の登場人物たちも初期近代ギリシァ社会における階級及び社会組織の縮図に他なりません。何よりも自由を尊ぶカラギョージと、トルコ人征服者に諂うハジャヴァーティスは対極的存在と言えます。権力者への依存を生の基盤とするこのタイプはどんな社会にも見られるはずです。
粗野な農夫ヴァルヴァ・イオルゴスとシルクハットのシニォール・ジオニシオスも正反対の役柄です。後者はイタリア語混じりのギリシァ語を話す、ダンディーな教養あるヨーロッパのブルジョワで、イオニア海のザキンソス島の出身です。この地域は長らくヴェネティア領で今日でも多くのイタリア人が住み、看板にもイタリア語が目立ちます。
大きな鼻をした背の低いオモルフォニオスはエレガントな白痴といった役割で、やはりイオニア海のケルキラ島出身。この島は、ギリシァのフィレンツェといった様相を持ち、同名の首都に残る旧市街はカンパニエレ(鐘楼の街)と呼ばれる迷路で、今日でも歩いているとフィレンツェの裏通りに迷い込んだ気分に満たされます。
息子コリティリスと強面のスタヴラカスも、街頭を根城とする腕白小僧や港の酒場にたむろする議論好きのギリシァ人を代表しています。
上記の登場人物が確定したのは、1890年頃で当時は牧歌的ミュージカルがアテネの聴衆の人気を博していました。しかし作者はアテネの上流階級出身で庶民の暮らしとは無縁でした。これに対してカラギョージの演者たちは、彼ら自身がカラギョージに他なりませんでした。前者は途絶え、後者は今日でも強い生命力を持って生き続けています。ナチ占領時代のアテネで、カラギョージは自由の象徴でもありました。
今日アテネでは、週末毎にスピロプーロス氏とコンスタ氏の上演が行われています。長老格のスパサリス氏は十年程前にカラギョージ博物館を開設しました。以前彼らと話した折、日本で上演して日本の子供たちと知り合いになりたい、という言葉が期せずして一致していたことは今も記憶に残っています。
筆者は、何よりも人形劇を愛する日本の演者と観客の皆さんを念頭において、この文章を書いています。日本語を書くことさえ随分久し振りなので、正直些か不安なところもあります。かつてカラギョージが、極東のどこかから遠い旅をしてギリシァに来たように、皆さんもギリシァに旅をなさる機会があればカラギョージにお会いになっては如何でしょうか。カラギョージも皆さんとの出会いを楽しみにしています。
カラギョージに関するホームページは、アテネに住むアメリカ人マット・バレット氏が作成しているhttp://www.karaghiozis.net
が充実しています。ご覧になることをお奨めします。
スパサリス氏の博物館をサイト訪問する場合は、http://www.karaghiozis.gr/theatro_skion か或いは、ギリシァ文化省のページhttp://www.culture.gr
から博物館一覧のSpathareion Museum of the Shadow Theatre をクリックすれば可能です。博物館は、アテネから高架線で30分程のマルーシという駅から5分くらいの所にあります。そぞろ歩きが楽しいアテネのファッション・ストリート、キフィシア駅のすぐ手前です。
スピロプーロス氏の劇場も地下鉄で30分以内の所にあります。上演は変更がなければ毎週日曜午前11時、午後5時半の2回(電話210-2629046)。
コンスタ氏の劇場は街の中心プラカの繁華街裏手です。上演はやはり毎週日曜午前11時と午後5時の2回です(電話210-3227507)。
それでは、アテネの街でカラギョージと共に皆さんの御出でをお待ちしています。

(c) copyright Hajime John
Ishida - January 2004
|